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<title>It\'s the Sustainability, stupid!</title>
<link>http://sustainability.mitekaite.com/</link>
<description>It\'s the Sustainability, stupid!</description>
<dc:language>ja</dc:language>
<dc:creator>sustainability</dc:creator>
<dc:rights>Copyright (c) 2006 MITEKAITE.COM. All rights reserved.</dc:rights>
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<title>始めには書かれなかった「はじめに」</title> 
<link>http://sustainability.mitekaite.com/?art_id=3</link> 
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<![CDATA[<H2>このブログを書く理由</H2>
<P>　はじめまして。ESDと申します。このブログは<A href="http://ch05646.kitaguni.tv/">持続可能なチャンネル</A>の後継ブログです。巷間よく言われるところの”環境問題”を始めとする諸問題（あるいは問題になるかも知れない事）について、持続可能性という観点から考えていくのが主な記事の内容となります。このようなブログを始めたきっかけは、日本の社会が先進国の中でも特に近視眼的であると感じるからです。<BR>　「持続可能」という言葉は、ごく簡単に表現すれば「長く続けることができる」ということでしょう。ならば持続可能性を意識する頻度は、その社会の視野の長さを示す指標の一つとなるはずです。そこでたとえば私のカスタマイズした<A href="http://news.google.com/news?ned=:ePkh8BM9E9LV0nzW0_h826yn_etfNO993LiqBpn_rGF5zdN9q55P2vB0XrcBq5A-F3dxaXFJYmZeYlJOKshmLalghEANXDIzJ7Ok0oBdiEOLDaR5UbMQzDdgPxSAiEqw88Gek2LKSlRiyioAAK1hOIA">Google News</A>を見てみましょう。日本語で「持続可能な・持続可能性・循環型」のいずれかのキーワードで引っかかるニュースは１日１件未満であり、それに対して「Sustainable・Sustainability」では、いつこのページを開いても数時間前というタイムスタンプの記事が３つ４つは当たります。しかも日本の記事で前２者が書かれるのは国外のニュースとJanJanの頑張っている市民記者と、あとは「持続可能な福祉」がほとんどと言っても良いでしょう。ニュースソースの量もそれなりに違うにしても、内外の意識の差はかなりあるというのが実感です。そういう状況を少しでも改善したいというのが、このブログを書く動機です。</P>
<H2>持続可能性ってそもそも何ですか？</H2>
<P>　これについてちゃんとした答えを私も用意できるわけではありませんが、その基礎になりそうなことをまとめて書いた記事が前の所にあります。網羅的ではないにせよ、輪郭が浮かび上がる程度の事は書いていると思います。</P>
<UL>
<LI><A href="http://ch05646.kitaguni.tv/e82807.html">「持続可能」について考える(1)　持続可能って何ですか</A> 
<LI><A href="http://ch05646.kitaguni.tv/e82807.html">「持続可能」について考える(2)　「持続可能」は正義か</A> 
<LI><A href="http://ch05646.kitaguni.tv/e84372.html">「持続可能」について考える(3) "持続可能性"と"持続可能な発展"</A> 
<LI><A href="http://ch05646.kitaguni.tv/e90062.html">「持続可能」について考える(4) Sustainableな"Development"って？</A> 
<LI><A href="http://ch05646.kitaguni.tv/e90327.html">「持続可能」について考える(5) いつまで続けば"Sustainable"?</A> 
<LI><A href="http://ch05646.kitaguni.tv/e82617.html">「持続可能」について考える(6)　持続可能な発展のための反戦論</A> 
<LI><A href="http://ch05646.kitaguni.tv/e133805.html">「持続可能」について考える(7)　民主主義と持続可能な発展</A> 
<LI><A href="http://ch05646.kitaguni.tv/e140167.html">「持続可能」について考える(8)　持続可能な社会ってどんな社会？</A><BR><BR></LI></UL>
<H2>このブログの主なターゲット</H2>
<P>　ここの記事は、おおむね大学生ないしは大学院生のレポートに書かれる程度の内容になります。それより難しい専門的な話になることはまずありません。もちろんその最大の要因は私にそもそもそんな難しい話を書く能力が無いからなのですが、それと同時に、主な読者層として想定しているのが大学生もしくは高等教育を受けたことのある人だからです。<BR>　日本の環境教育は初等中等教育を中心に発展しています。日本以外の国でもあらかたはそうでしょう。「環境教育といえば自然体験だ」という「誤解」がまかり通っている事は、その要因の一つとして数えてもいいでしょう。自然体験は自然の大切さを理解させる事を主な目的としており、そういう経験は若い時の方が一般によく効きますから、若い内に自然体験をさせるという事自体は重要なことです。しかし一方で、持続可能な社会を築くためには社会を変えていく手法を学ばねばなりませんが、それはたとえば社会科の範疇であって自然体験からそれを会得することはできません。自然体験は確かに環境教育の一手法ですが、それだけでは足りないのです。そしてそれを学ぶのに適した時期は、社会のことが多少なりとも見え始めた大学生や、経済の動きに接している社会人であろうと考えました。そういった人たちが何らかの要求からキーワードを検索してここの記事を見つけた時に、多少なりとも考えを深めるヒントになることを期待しているわけです。<BR>　なお、そんなわけですので、コピー＆ペーストして文体だけいじっただけでは良いレポートにはならないような記事にしようとしたりするかも知れません。<BR>
<HR>
<A href="http://eco.blogmura.com/ecoedu/"><IMG height="15" alt="にほんブログ村 環境ブログ 環境学習・教育へ" src="http://eco.blogmura.com/ecoedu/img/ecoedu80_15.gif" width="80" border="0"></A> <A href="http://blog.with2.net/link.php?147732"><IMG alt="" src="http://blog.with2.net/img/banner.gif"></A> 
<P></P>]]> 
</description>
<dc:subject>はじめに</dc:subject> 
<dc:creator>sustainability</dc:creator> 
<dc:date>2007-03-16T05:02:15+09:00</dc:date> 
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<title>教育基本法「改正」案で遊んでみた</title> 
<link>http://sustainability.mitekaite.com/?art_id=2</link> 
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<![CDATA[　移転場所だけ用意したものの、どうにも記事を書く精神的余裕がない、というのを言い訳に何もしてませんでしたが（旧宅の告知さえしてない）、教育基本法改正案が衆院を通ったという非常事態になったので、今回の改正案が如何に問題あるかを端的に示す試みに参加してみました。<A href="http://d.hatena.ne.jp/seijotcp/20061119/p2">教育基本法「改正」案で遊びませんか、のお誘い。＠成城トランスカレッジ！</A><BR/>　改正案の条文に（）書きで、この改正案の書き手の隠された本音を推測して書き足しました。これらは一般にただの中傷ではなく、関係者の出版物の内容や言動、さらに先行する各種法律や条例の内容を元にしており、誇張はあっても間違いはないと思います。他の「本音」がほとんど一から文章を書き起こしているのに対して手抜きの観は否めませんが、時間もないですしこのやりかたでいきます。パンチ力が弱く根源的な批判が行いにくいものの、この方が分かりやすいと思うからでもあります。<BR/><BR/><BR/>前文 <BR/>我々日本国民は、たゆまぬ努力によって築いてきた民主的（＝ポピュリズム的）で文化的な国家を更に発展させるとともに、世界の平和と人類の福祉の向上に貢献することを願うものである（が、発展の方が優先され後段はあくまで建前である）。我々は、この理想を実現するため、（サヨクでない）個人の尊厳を重んじ、（保守的な価値観の元での）真理と正義を希求し、公共の精神を（私（わたくし）よりも）尊び、（政府の思惑を逸脱しない範囲で）豊かな人間性と（勝ち組となる）創造性を備えた人間の育成を期するとともに、（たかだか明治維新後・あるいは戦後以来の）伝統を継承し、（伝統からはみ出さない程度に）新しい文化の創造を目指す教育を推進する。ここに、我々は、日本国憲法の（後で書き換える部分の）精神にのっとり、我が国の未来を切り拓く（という根拠は全く審議しなかったが自明である）教育の基本を確立し、その振興を図るため、この法律を制定する。<BR/><BR/><BR/>(教育の目標)第二条<BR/>教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ（も）、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。<BR/>
<OL>
<LI>幅広い知識と教養を身に付け、（ネットで）真理を求める態度を養い、（政府に煽られやすい、ある意味で）豊かな情操と（保守的な）道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。 <BR/>
<LI>（エリートについては）個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、（いわゆるＢ層については）職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。 <BR/>
<LI>正義と責任、男女の（ジェンダーフリーという意味ではない）平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき（自分勝手にボランティアで危険地域に行くような真似をせず）、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。 <BR/>
<LI>生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。（しかし持続不可能な現代社会のあり方について根本的に問いなおすようなアカ教育はその範疇に入らない）<BR/>
<LI>伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに（これだけ書くとうるさい奴らが居るので付け足す点として）、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。<BR/></LI></OL><BR/>（学校教育）第六条<BR/>
<OL>
<LI>（略） 
<LI>前項の学校においては、教育の目標が達成されるよう、教育を受ける者の心身の発達に応じて、体系的な教育が組織的に行われなければならない。この場合において、教育を受ける者が、学校生活を営む上で必要な（上から与えられた）規律を（従順に、疑うことなく）重んずるとともに、自ら進んで学習に取り組む意欲を高めることを重視して行われなければならない。<BR/></LI></OL><BR/>（家庭教育）第十条<BR/>
<OL>
<LI>（公法と私法の区別とか分からないのでここに書いておくと、）父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。 
<LI>（以下略）<BR/></LI></OL><BR/>(学校、家庭および地域住民などの相互の連携協力)第十三条<BR/>（公法と私法の区別とか分からないのでここに書いておくと、）学校、家庭及び地域住民その他の関係者（本当はここに行政も含まれるのだろうが明示すると変事に面倒くさいので書かないでおく）は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする。<BR/><BR/><BR/>第３章　教育行政 (教育行政)　第十六条<BR/>
<OL>
<LI>教育は、（偏向教師の）不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより（国家権力による支配のもとで）行われるべきものであり、教育行政は、国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下、公正（ただしこの場合は公権力にとって正当の意）かつ適正に行われなければならない。 
<LI>（略）</LI></OL><BR/>（教育振興基本計画）第十七条<BR/>
<OL>
<LI>政府は、（政府のための）教育の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、教育の振興に関する施策についての基本的な方針及び講ずべき施策その他必要な事項について、基本的な計画を定め、これを国会に報告するとともに、公表しなければならない。<BR/>
<LI>（略）</LI></OL><BR/><BR/>　なお第二条の「教育の目的」で態度を教育するという事に反発する声が聞かれますが、これについては私の考え方はやや異なります。<BR/>　環境教育はすぐれて行動の変革を求める教育で、知識の教育だけでは不十分であるということが知られています。そこで環境教育や持続可能な開発のための教育に関する宣言・国際条約その他の文章では、非常にしばしば態度(attitude)を教育目標の一つに据えています（たとえば1977年のトビリシ宣言では「関心・知識・態度・技能・参加」）。<BR/>　私もこの立場に賛成です。態度を教えるべきか否かではなく、いかなる態度が必要かをこそ議論すべきだと考えます。<BR/>]]> 
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<dc:subject>教育</dc:subject> 
<dc:creator>sustainability</dc:creator> 
<dc:date>2006-11-24T23:17:56+09:00</dc:date> 
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